会社を守る≒社員を守ることでもあるんじゃなかろうか?



あの有名な脱社畜ブログさんが、こんなエントリーを!

「社員を守る」とか言っちゃう経営者が守ってるのは社員じゃなくて会社 - 脱社畜ブログ

の中で「社員を守るために、社員に負荷をかけろ」という理屈に対し、以下のように整理し、反論されています。
この言い分には、おそらく2つの意味が含まれている。1つ目は、「社員に甘くしたため、会社が潰れてしまっては結局社員の不利益になる。だから社員に厳しくすることは正当化される」という意味。2つ目は、「負荷をかけなければ人間は成長しない。成長しなければ、これからの厳しい時代は生き残れない。だからお前のためを思って、(俺は心を鬼にして)負荷をかけるのだ」という意味。
の2つに対し次のように反論されている。

1つ目の「会社が潰れてしまっては結局社員の不利益になるから社員に厳しくすることは正当化される」に対してこのように意見されています。

このような考え方は、終身雇用制度がしっかりと機能していた時代の考え方であって、現代社会では会社に人生の保証を期待してはいけない。会社と契約を前提とした取引先と考えれば、経営者は社員を守る必要はないと同時に、社員も契約の範囲を超えて会社を守る必要はないと!

ゆえに、会社の業績が厳しいからと言って、社員に長時間労働や低賃金を正当化してはならないとのこと!

それは、その通り。

経営が厳しいからといって長時間労働や低賃金を押し付けてるのは好ましくない。しかし、社員の労働生産性が低ければ、生産性の向上を要求するのはあってしかるべきではなかろうか!

もっと生産性をあげよう!と檄を飛ばし、そのために経営者を含めた皆で何が出来るかを真剣に考えることは大いに必要ではないかと思う。


2つ目の「負荷をかけなければ人間は成長しない。成長しなければ、これからの厳しい時代は生き残れない。だからお前のためを思って、(俺は心を鬼にして)負荷をかけるのだ」に関しては・・・。

そんなことを他人にとやかく言われる筋合いはない。そして、社員は契約どおりの労務を提供し、経営者は約束した額の給料を支払う。それ以上の関係は持ち込むべきでないと言っておられる。

うーん!たしかにそれもあるだろう・・・。が、しかし成長しなければ当然給与も上げられないし、生産性が伴わねば、必要に応じて、法令を順守した上で減給もしなければならない。

できれば、そんなことはしたくない。したくないから、もっともっと生産性を上げようと言うし、生産性をあげるための一つの方策が社員の成長でもあるのではないかと思う。

さらに言えば、経営陣が真っ先に生産性をあげる努力をすることが重要であるし、削る場合は経営陣のコストから削ることは当たり前だが、それでもダメな場合、経営者は「大を生かすために、小を殺す決断」を迫られることもある!






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